岩殿観音の伝説
昔、昔のその昔、今よりも仏さまの住まう世界と、この世の境界が曖昧だったころのこと。岩殿観音にはこんな昔話が残されています。
田村麻呂の悪竜退治
まだ岩殿の山々が大昔の姿を残す頃のお話です。岩殿山に悪竜が住み着き、村人たちは困り果てていました。 そんな日が続いたある日、蝦夷征伐のためこの地を通りがかった将軍坂上田村麻呂が悪竜退治を引き受けます。 田村麻呂は観音様のお力を借りるために観音堂に篭って一心にお祈りしました。夜が明けて田村麻呂が岩殿山中へと赴くと、 真夏だというのに雪が積もっています。あたりを見回すと、山の一角に雪の溶けている場所がありました。 観音様が龍のいるところを、雪を溶かして教えてくれたに違いないと思い、弓に矢をつがえてひょうと放ちました。すると空は黒い雲で覆われ、風がさーっと吹いたかと思うと、姿をくらましていた悪竜が忽然と現れました。 矢は悪竜の右眼に深々と突き刺さっています。田村麻呂が二の矢をとって放つと、悪竜の左目に刺さり、悪竜はのたうち回ります。 そこで腰の大剣を抜き、悪竜の喉元めがけて突き刺しました。これには流石の悪竜も七転八倒の末、ついに力尽きました。 悪竜の首は山裾へと埋め、後に池となりました。しかし不思議なことに蛙が住み着かず「鳴かずの池」とよばれるようになったそうです。
山から戻った田村麻呂をねぎらうために、村人たちは饅頭をこしらえてもてなしました。真夏に降った雪で凍えた体を暖めるため、すく柄に火をつけお尻を炙りながら饅頭を食べたといいます。この「しりあぶり」の風習は今にも伝わり、祭事となっています。
相撲をとった仁王像
今から400年程前のことです。中山郷は近郷の相撲大会で負け続きでした。 しかしこの年は、金剛兵衞、力士兵衞となのる若者によって優勝します。あらためてその若者らに何処の出身かと尋ねると、 比企郡は岩殿観音から来たと話します。ちょうどその頃、岩殿観音の仁王門からは仁王様が姿を消していたそうです。
抜け絵馬
坂上田村麻呂の武勇にあやかり、馬の成長祈願のために、2頭の若駒が描かれた絵馬が奉納されました。 ある朝、住職が絵馬を見ると描かれた若駒が消えていました。若駒は、都幾川まで水を飲みに絵馬を抜けだしたそうで、 観音堂には白木の絵馬が残されたそうです。