歴史

開山

 養老2年(718年)、沙門逸海により開山されました。岩殿山の峰の岩窟に本尊千手観音を安置し、傍らに正法庵と号した草庵を結んだのが始まりです。その後、延暦15年(796年)桓武天皇の勅命によって伽藍が造立されました。
 鎌倉時代には、源頼朝の妻、北条政子の守り本尊として、源頼朝の庇護のもと比企能員が復興、一山六十余坊を擁し、坂東三十三観音霊場の第十番札所の命を賜りました。能員が北条時政のために自害をせまられて死去すると、その嫡子時員は追手を逃れて出家し、この寺を守りました。

中興

 室町時代にはおおいに栄えたものの、永禄十年(1567)松山城合戦の兵火で焼亡、一山の僧徒は離散してしまいます。しかし、かろうじて戦火を免れた本尊とともに、天正二年(1574)僧・栄俊が中興しました。続く天正十九年(1591)徳川家康により二十五石の寺領を賜ります。寛永年間(1624-1645)に失火により諸堂を焼失しましたが、法印恵日により再建されています。近世に入ると観音霊場参りの巡礼者でおおいに賑わい、境内には茶店が立ち並び、門前は巡礼者のための宿屋や商い屋で栄えました。

          

現代

 降って、明治十一年火災により観音堂焼失。現在の観音堂は明治十二年に高麗村白子(飯能市)の長念寺から移築したものです。盛衰激しく、三度の失火にみまわれ、現在の堂宇は明治再興のものがほとんですが、門前通りや境内の随所から往時の興隆を偲ぶことができます。